【政宗の成長を期待するも、非業の死を遂げる】
「独眼竜」政宗の父。一五世晴宗を父に、笑窪(えくぼ)の方を母にもつ。
1565年に父より家督を譲られ、伊達家十六代当主となる。しかし、伊達家
の内紛、天文の乱終結後に家督を継いだため衰退しつつある伊達家の威信回復
のために奔走することになる。当時、輝宗の一番の悩みは度々伊達領に侵攻し
てくる相馬顕胤の存在であった。輝宗はこの顕胤の侵攻に対処すべく、二本松
城主畠山義嗣に助勢を頼むが、この輝宗の行為が後に輝宗自身の運命を大きく
変えることになる。天文12年、輝宗は急遽、家督を長男の政宗に譲る。これ
は正室義姫を中心とした次男竺丸を抑えるための行為であった。ここに仙道制
覇、中央進出という自分の果たせなっか輝宗はその念願を政宗に託し、隠居す
るのである。しかし、輝宗の人生に平穏な日々は訪れなかった。わずか隠居後
の一年足らずでこの世を去ってしまうのである。当時、奥州の地ではまさに破
竹の勢いである政宗に対し諸将は、臣従するか抵抗するか重大な選択を迫られ
ていた。二本松城主の畠山義継も同様であり、政宗に対し臣従することを決め
ていた。しかし、政宗は義継に対し、その所領を「五ヶ村だけを残し、他はす
べて没収」という苛酷な条件を突きつけたのである。これでは家中を維持でき
ず、苦慮した末、義継はかつて援兵して恩がある輝宗に事の周旋を頼んだのが
事件の発端であった。輝宗は政宗に義継を赦すよう周旋し、ことは収まったか
のように思えた。しかし、義継が輝宗のもとを去る際、義継は輝宗を拉致する
という一大事が起こったのである。急報を受けた政宗は急いで駆けつけたが、
すでに輝宗は二本松領寸前にまでさしかかっていたのである。輝宗はここに至
り、自分もろとも義継を撃つよう政宗に指示。政宗は一瞬躊躇したとされるが、
発砲を指示し父もろとも義継を討ったのである。輝宗は自分の成し遂げられな
かった夢を政宗に託したが、以後、政宗が奥州の大大名として天下に君臨する
姿を見届けられないまま、この世を去ったのである。
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