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●支倉常長、政宗の「密命」を帯びこの地より出帆
雄勝町呉壺で建造された使節船サン・ファン・バウテ
ィスタ号は、この月浦へと廻航され、慶長18(161
3)年9月15日、慶長遣欧使節団180余名を乗せて
遠い異国の地へ旅立ちました。この月浦が出帆の地とし
て選ばれた理由については、石巻近郊で水深も深く風波
を避けるのによい地形だったからと考えられています。
この日本の外交史上、画期的ともいえる慶長遣欧使節
ですが、その目的は一体なんだったのでしょうか。一般
的に知られていることとして、
(1)奥州へのフランシスコ修道院宣教師の派遣
(2)ノビスパニアとの直接通商
(3)金銀採掘技術、製錬技術の習得
などがあげられます。しかし、現地での常長、及び宣教
師ルイス・ソテロの発言などが政宗は何か別の目的で彼
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| (1)バウティスタ号出帆の地 |
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らを派遣したのではないかと考えられています。
●慶長遣欧使節は「奥州王」伊達政宗の最後の野望か?
使節派遣の真の目的には
(1)南蛮国への検察使(=国防説)
(2)海軍国との軍事同盟締結(=倒幕説)
などが仮説としてあげられています。国防説については
当時、国内にはキリシタン信徒が爆発的に増えていたた
め、カトリック教国による「日本侵略」というのは風評
として伝えられていました。国防説は万が一の状況に備
えて、また関ヶ原で失策した政宗自身の面目躍如、及び
幕府へ忠誠という意味も含めて常長を「敵地偵察」とし
て派遣したというものです。これは伊達治家記録慶長1
8年9月15日の条の「・・・其ノ地ノ様子ヲ検察シセ
メ・・・」の文面が根拠となっています。そして次の倒
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| (2)伝・南蛮人使用井戸 |
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幕説が最も有力とされている説です。
●野望実現!!江戸幕府は二代目で「幕末」??
これは当時「無敵艦隊」と称され世界最強の軍事力を
擁するスペインと軍事同盟を締結し、家康の死後、この
強大な軍事力を背景に幕府に戦いを挑むというものです。
これはまず幕府の禁教令を無視して宣教師の派遣を要請
していること、また徳川幕府下で一外様大名として存在
していた政宗が「奥州王」伊達政宗として「日本皇帝」
徳川家康と対等な立場で書状を送っていること、そして
何よりルイス・ソテロのローマでの発言、「スペイン王
とローマ法王の援助さえあれば政宗は皇帝を倒し、自分
が皇帝になる用意がある」というのが根拠になっていま
す。発言は書状と違い形として残らないため、すぐに「
史実」とはなりません。しかし、近年ローマのイエスズ
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| (3)支倉常長銅像 |
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会文書館に「政宗は天下に対して謀反を起こす気」とい
う宣教師アンジェリスの書簡が確認されました。さらに
もう1つ。政宗が寛永5(1628)年に政宗が前将軍
秀忠を自分の屋敷に招待した際、毒味の要求に対し、「
将軍家を殺そうと思ったのは10年も昔。そのときも毒
などではなく、馬に乗り戦で殺そうとした」といって毒
味を拒否しています。政宗自身、江戸幕府成立以後も天
下取りの野望を抱いていたことだけは確かなようです。
●参考文献
学研 歴史群像戦国ベストセレクション
風雲伊達政宗
学研M文庫 小和田哲男 史伝伊達政宗
宝文堂 紫桃正隆 危うし獨眼龍
−伊達政宗の見果てぬ夢−
及び石巻教育委員会作成現地説明版
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| (4)展望台からみた月浦の全景 |