仙道人取橋古戦場

(福島県安達郡本宮町青田字戸ノ内 東北本線本宮駅下車徒歩25分)
   

  ●反伊達連合3万に挑む7千の伊達軍。その結果は?  歴史に名を刻んだ英雄たちはその生涯、特に軍事面で しばし後世に「奇跡」ともいわれる大逆転劇を演じてい  ます。日本史上、もっとも有名な大逆転劇はなんといっ ても織田信長の桶狭間の戦いでしょう。その他にも戦国 時代には毛利元就の厳島合戦北条氏康の河越夜戦など があげられます。そして奥州の覇者である伊達政宗に ついても例外でなく、この人取橋の戦いがそれに該当す るのです。  政宗の父輝宗は畠山義継の手により悲劇的な最後を遂 げました。亡父の7日の忌をおえた政宗はさっそく父の 弔い合戦を開始します。畠山国王丸の二本松城を包囲し ますが、城主・義継を失った畠山勢も復讐戦とばかり果 敢に抵抗を試み、伊達勢との一進一退の攻防を続けます。 そして、ここに政宗を心底驚嘆させるある情報が伝わっ

(1)茂庭(左月)良直の墓

てくるのです。  「佐竹、芦名を主軸とする仙道周辺の連合軍が二本松 救援のために北上中」この情報は政宗がもっとも危惧し いたものでした。果たして政宗は伊達の家名を存続させ ることができるのか、重大な岐路に立たされるのです。 しかし、政宗は即決断します。それは徹底抗戦というも のでした。ここに後世、「人取橋の合戦」と称される戦 が開始されるのです。  戦の経過は伊達軍の生命線ともいえる人取橋をめぐり 一進一退の攻防が続きました。総大将である政宗自身も 鎧に銃弾5発をうけ、自ら槍をもって奮戦するなどまさ に大激戦となりました。73歳の老将・鬼庭左月は劣勢 の伊達軍にあって郎党60余騎ひきいて敵中に突入し壮 絶な最後を遂げています。しかし、これら配下の奮闘も むなしく、数で劣る伊達軍がじわりじわりと後退してい

(2)仙道人取橋古戦場
 

 くことになるのです。   ●奥州の名門・伊達家も政宗の代で滅亡?しかし・・。  おそらく、このままの状態で戦が続けば伊達軍の敗北は  必死、状況次第では政宗自身の戦死も十分にありえたで  しょう。しかし、事実そうはなりませんでした。なんと  あれだけ有利に戦を進めていた連合軍が一夜にして消え  去ってしまったのです。この全く予想だにししない出来   事は連合軍側の佐竹義政が下僕に刺殺されたためと伝え  られています。   ともあれ、伊達軍は劣勢でありながら芦名・佐竹の連  合軍を退けました。伊達の武名はおおいに広がり、政宗  も多大な自信を手に入れたでしょう。そして政宗はこの  後、摺上原の地にて宿敵・葦名氏と奥州No.1の地位  をめぐって最後の戦いを繰り広げるのです。  ●参考文献  学研 歴史群像シリーズ19     伊達政宗【独眼竜の野望と咆哮】  学研 歴史群像戦国ベストセレクション 風雲伊達政宗  山川出版 福島県県の歴史散歩  及び現地説明板



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