てくるのです。
「佐竹、芦名を主軸とする仙道周辺の連合軍が二本松
救援のために北上中」この情報は政宗がもっとも危惧し
いたものでした。果たして政宗は伊達の家名を存続させ
ることができるのか、重大な岐路に立たされるのです。
しかし、政宗は即決断します。それは徹底抗戦というも
のでした。ここに後世、「人取橋の合戦」と称される戦
が開始されるのです。
戦の経過は伊達軍の生命線ともいえる人取橋をめぐり
一進一退の攻防が続きました。総大将である政宗自身も
鎧に銃弾5発をうけ、自ら槍をもって奮戦するなどまさ
に大激戦となりました。73歳の老将・鬼庭左月は劣勢
の伊達軍にあって郎党60余騎ひきいて敵中に突入し壮
絶な最後を遂げています。しかし、これら配下の奮闘も
むなしく、数で劣る伊達軍がじわりじわりと後退してい
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