仙台東照宮

(宮城県仙台市青葉区東照宮1丁目 仙山線東照宮駅下車徒歩2分)
       

  ●「人生は重き荷を背負い遠くを歩くが如し」  戦国時代を終結させ、江戸幕府260年の礎を築いた  徳川家康。伊達政宗も自己の野望を実現するため果敢に 挑み続けましたが、この「家康」という壁はあまりにも 高すぎました。最終的に政宗は家康に対し恭順の意を表 し、そして家康も病床に後継者である秀忠の後見を依頼 しています。その後、家康は元和2(1616)年にそ の生涯と閉じました。遺骸は遺言により久能山に葬られ ます。そして日光東照宮が造営され、家康は東照大権現 として祀られるのです。 ●二代藩主・忠宗造営による仙台東照宮  その名が示すとおり、この仙台東照宮は東照大権現を

(1)参道(石段、国指定文化財・石灯籠)

仙台に勧請したものです。慶安2(1649)年、二代 藩主・伊達忠宗は大水害復旧のため幕府から銀5000 貫を拝借したことの返恩として、東照宮建立を願い出ま した。慶安2(1649)年に着工しますが、場所の選 定については天正19(1591)年に葛西大崎一揆の 視察を終えた徳川家康が江戸に戻る途中に伊達政宗と宿 陣した場所であるとしてこの地が選ばれました。承応3 (1654)に完成し、仙台藩領内では塩竈神社に次ぐ 待遇となり、以後人々の信仰を集めていきます。 ●随身門の左右には本多忠勝、藤堂高虎の随身像が  石鳥居(国指定重要文化財)をくぐると画像にあるよ うな参道が続きます。この参道(石段)の両脇にある石 灯籠38基は創建時に伊達家一族家臣により奉献された

(2)国指定文化財・随身門

  ものです。その後、伊達騒動(寛文事件)に関係した重 臣のものが7基取り除かれ、その後新たに6基が追加さ れました。随身門の左右には本多忠勝、藤堂高虎の随身 像が安置されています。本多忠勝は徳川四天王の1人に 数えられる人物で、武の面で家康を支えています。「家 康に過ぎたるもの」といわれ、名槍・蜻蛉切りを手に数 数の戦場を疾駆し、家康が武田信玄に大敗北を喫した三 方ヶ原の戦いでは逃走する家康の殿軍を努め、家康の窮 地を救っています。家康を祀ったこの東照宮において、 彼ほど守護者として適当な人物はいないと思われます。 さらに拝殿、本殿と続きますが、拝殿は昭和10年8月 6日に失火により焼失してしまいました。画像にある拝 殿は昭和39年に再建されたものです。そして、いよい よ東照宮大権現を祀った本殿です。ところが、実は自分 も直接訪れるまでは気づかなかったのですが、本殿は一

(3)拝殿

  般公開されていません。よって画像にある唐門と透塀の 向こう側にある建物が本殿ということになります(屋根 しか見えません)。  また、明暦元(1655)年により毎年9月17日を を祭典日と定め、藩主在国の年には城下十八ヶ町に命じ、 神輿渡御の先駆として山鉾を出さしめました。この「仙 台祭」と称された祭は藩内最大の祭礼となり、江戸時代 末期まで盛大に行われました。 ●参考文献 Koei 信長の野望烈風伝 武将FILE Koei 信長の野望嵐世記 武将FILE 山川出版 宮城県の歴史散歩 及び現地説明板

(4)国指定重要文化財・唐門、透塀、本殿(非公開)

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