白石城(益岡城)

(宮城県白石市益岡 東北本線白石駅下車徒歩10分)
       

  ●仙台藩南の要衝白石城!!  白石市民のシンボル、白石城です。サン・ファン・バ ウティスタ号同様、現存する建物(天守閣、大手門)は すべて史実に基づいて忠実に再現されたものです。です  ので、現代建築物として外観のみを復元した城とは異な り、その内部に至るまで軍事施設としての機能(急な階 段、石落とし、狭間など)を見ることができます。宮城 県で唯一、天守が存在し、その城の威風を体感できるの はこの白石城だけです。 ●白石城の歴史 この地にいつごろから城が築かれたかは明確にされて ません。しかし、最初の白石城主は刈田左衛門尉経元と 伝えられ、寛治年間(1087〜1094)から居住し たとされています。以後、代々刈田氏の居城となり、戦

(1)復元・大手一ノ門

  国時代に至っては伊達氏のもと、「白石氏」と姓を改め て白石氏が居城としました。その後、天正14(158 6)年に当時城主の白石宗実が塩松城へ移るに至り、屋 代勘解由兵衛景頼の居城となりますが、秀吉の奥州仕置 によって一度白石城は伊達氏の手許を離れ蒲生氏の居城 となります。 ●伊達軍が怒涛の進撃!守るは上杉家臣・甘糟虎氏!!  さらに時代は進みます。秀吉の死によってそれまで保 たれていたは均衡は音をなし崩れ、現体制の維持を望む 石田三成と、自ら新体制樹立を目論む徳川家康の2人を 中心に再び動乱期に入ります。この時、白石城を含む南 奥羽一体は上杉景勝の所領となっていました。関ヶ原の 合戦は上洛拒否の上杉景勝に対する徳川家康の会津征討 に端を発しています。しかし、自分の留守に上方で石田

(2)復元・大手二ノ門

  三成の挙兵を予見していた家康は会津征討を中止、奥羽 の大名(伊達、最上ら)に上杉領の背後を牽制するよう 出兵を要請します。つまり家康は三成、景勝の挟撃を政 宗ら奥羽の緒将の手を借り阻止し、自分は三成との一戦 に集中しようとしていたのです。この混乱に乗じて政宗 は旧領回復を画策、上杉領の白石城へ進軍を開始するの です。 ●そして「政宗の右眼」、片倉小十郎景綱の居城に  白石城はあえなく落城、関ヶ原では家康方東軍が大勝 利し、白石城は再び政宗のものとなります。政宗は新城 主に自身が最も信頼する家臣・「智将」片倉景綱を配し ます。この人選は白石城が仙台藩の最南端の要衝である ことから対幕府戦を想定しての人選と考えられます。こ こに「東奥老士夜話」という資料があります。仙台藩が

(3)本丸跡・小十郎の碑

公式的な資料として残したものとは異なりますが、それ には「幕府軍迎撃構想」という興味のある内容が記され ています。詳細は省略しますが、北上する幕府軍に対し、 仙台藩の関門である白石城を進軍阻止の重要拠点として 記してます。もちろん、「政宗謀反」の噂はたつも、仙 台征伐は行われず、元和の一国一城令以後も存在し続け て代々片倉氏の居城となります。明治維新、「変転期」に再び登場白石城!!  よく白石城は「日本の変転期に一役を担う重要な城」 といわれています。つまり幕末を越え明治維新期に白石 城は再び歴史の表舞台に登場するのです。  十五代将軍・徳川慶喜は慶応3(1867)年、政権 を朝廷に返上し、260余年続いた江戸幕府は終焉の時 を向かえます。しかし新体制樹立に伴う混乱は各地に戦

(4)復元・天守(三階櫓)その1

  乱の火種を蒔き、特に奥羽の諸藩は明治新政府に頑強に 抵抗しました。  慶応4(1868)年、奥羽越列藩同盟はこの白石城 で締結されました。当初、この同盟は新政府に対する会 津・庄内両藩への謝罪嘆願同盟でした。しかし、強圧的 な新政府軍に対し、同盟は攻守同盟に発展、その公儀府 を白石城に設置し、さらには東北独立政権を構想するに 至るのです。その独立政権(輪王寺宮政府)は東武皇帝 (天皇に相当?)に輪王寺宮、権征夷大将軍に最後の仙 台藩主・伊達慶邦が即位する予定でした。しかし、新政 府軍との戦闘において、同盟軍は各地で敗北、そして相 次ぐ諸藩の同盟脱退によりこの独立政権構想ともども奥 羽越列藩同盟は瓦解していくのです。 ●白石城、目指すは「完全復元」!

(5)復元・天守(三階櫓)その2

   これら激動の歴史を刻んだ白石城ですが、明治7(1 874)年大蔵省管轄の白石城は民間に払い下げられ解 体、廃城となります。前述のとおり、現在の白石城は平 成7年に文政6年再建後の最晩年の構造を日本古来の建 築様式(木造)によって忠実に復元したものです。天守 3階からの眺めは絶景で、おそらくこの場所から甘糟氏 の家臣も伊達軍の進軍を確認したのでしょう。 ●参考文献 学研 歴史群像シリーズ39     会津戦争【痛憤白虎隊と河井継之助】 碧水社 よみがえる白石城 宝文堂 紫桃正隆 危うし獨眼龍          −伊達政宗の見果てぬ夢− 及び現地説明板、白石城パンフレット

(6)天守3階よりみた白石市内の風景

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