私が尊敬する歴史上の人物3


徳川慶喜(!)

「余は自らの死で家臣を奮い立たせるより、
    生きて忘れさられることを望んでいる。」

(大河ドラマ徳川慶喜、大政奉還後の一橋家の屋敷にて。役・本木雅弘)


1998年、大河ドラマ主人公
  実は以外にも尊敬しています。ちょっと話は長いんで暇な人だけ読んでくだ  さい。
幕末、最強の「敵」
  この人物って「敵」っていうイメージが強いですよね。当然といえば当然で  維新の英雄である西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允等にしてみれば、まさに自  分達の理想を実現するために倒さなくてはならない「最大にして最強の敵」な  わけですから。んで、最近、この人物がNHK大河ドラマの主人公に抜擢され  ました。正直、「なんで?」って思いましたけどこれはいい機会だ思い放送見  ながら何冊か本を読みました。
世界史5大革命!!
  ある本に書いてあったことなんですけど、封建国家から近代国家への脱皮と  して「世界史五大革命」(たぶん、著者がつけたネーミングだと思う)っての  があるみたいで、その5つを上げるとイギリス名誉革命、フランス革命、中国  革命、ロシア革命、そして我が国の「明治維新」らしい。しかも、これらの5  つの革命についておおよそ分かっている範囲で、革命が成功するまでの間にど  れだけの人間が犠牲になったか(つまり、戦死者数)を調べた人がいるらしく通  常、このような「革命」という歴史的事項では悲しいことに数十万から数百万  の人間が犠牲となるのが世界史においては通例となっているようです。もちろ  ん、その国の人口とも関係があるのでしょうが、名誉革命、フランス革命につ  いては百万人以上、ロシア革命、中国革命についてはなんと、一千万人以上が  犠牲になったとされています。ところが、ところがです。我が国の明治維新に  おいては鳥羽・伏見の戦いから函館五稜郭開城に至るまで、その犠牲者は約2  万人(!)と推定されています。他の国の革命と比べたらこの人数はかなり少  ないです。なぜ「世界史五大革命」として同列に位置されながら明治維新のみ  このような人数になったのでしょうか。なんとなく徳川慶喜のとった行動、つ  まり、「大政奉還」とそれに続く恭順、謹慎が関係しているのではないかと予  想されます。
慶喜最後の切り札「大政奉還」
  確か、自分は教科書なんかで最初に大政奉還ってことばを目にしたとき自分  の知識の無さも手伝ってか、白旗、降参ってなふうな解釈をしました。ところ  が、この大政奉還っていうのは白旗でも何でもなく、慶喜の倒幕陣営に対する  最後の切り札だったのです。この大政奉還は薩長陣営に倒幕の密勅がおりた当  日に断行されました。これはまさに、武力により幕府を倒そうとするその瞬間  に事実上、幕府は消滅してしまったわけです。これにより倒幕陣営は武力蜂起  の機会を失いました。つまり、慶喜は大政奉還により、武力衝突を回避し政治  的手段により倒幕陣営を瓦解させたことになります。で、慶喜の次なる反撃は  大政奉還後の政治構想をまとめた「議題草案」を引っさげて徳川宗家として、  新政治機構へ参加するというものでした。まさに、これこそが倒幕陣営の最も  恐れていたことで、これはさすがに西郷隆盛や岩倉具視等の暗躍により阻止(  王政復古のクーデター)されます。ここではじめて慶喜は「敗北者」となるわ  けです。この後の慶喜の行動は周知のとおりで、暴発する旧幕軍を抑えきれず、  鳥羽伏見の戦いにおいて朝敵の烙印を押された慶喜は新政府に恭順の意を表し、  謹慎し歴史の第一線から退きました。
徳川慶喜VS足利義昭
  で、話はもとにもどりますが、なぜ明治維新の動乱ではあれだけ少ない犠牲  で済んだのでしょうか。もし、慶喜が大政奉還は行わず、室町幕府最後の将軍  足利義昭の「信長包囲網」のように、幕権回復という名のもと、全面武力衝突  に及んでいたらどうなっていたでしょうか。関ヶ原のときのようにまさに、日  本国内が東西の両軍に分かれ、泥沼の戦いになっていたかもしれません。しか  も、その後、旧幕臣からの再三にわたる出陣の要請を頑なに拒み、恭順、謹慎  の態度がさらに、拡大するであろう戦火を未然に防いだといえます。
持論
  で、ここからは持論なんですけど、戦火の拡大を最小限に抑えたことが外国  からの干渉も防いだと考えられないでしょうか。「内乱」は国力を著しく疲弊  させます。幕府側、倒幕側の背後にはそれぞれ列強国としてフランスとイギリ  スがついていました。どちらが勝っても疲弊した国力を回復させるためにおそ  らく諸外国の力を借りることになったでしょう。果たしてこのとき、アジアに  植民地を求めて進出してきた「列強」といわれる国々が内政干渉せずに力を貸  してくれたでしょうか。自分は慶喜の大政奉還によって政権交代が一刻の空白  も作らずスムーズに行われたことにより外国の干渉も防ぎ、そして飛躍しすぎ  かもしれませんが日本の殖民地化も防いだのではないかと考えています。
木戸孝允の慶喜評
  以上、長々とかきましたが、これらの「英断」が自分が徳川慶喜を最も尊敬   する理由です。しかし、歴史上の人物でこれほど評価の定まらない人物も珍し  いです。「敵前逃亡をやってのけた臆病者」、「政権を放り投げた人物」から  「近代国家への橋渡しを行った人物」、「維新三傑(西郷隆盛、大久保利通、  木戸孝允)に次ぐ4番目の維新の功労者」など、もー様々。ただ、世界史の常  識では武力闘争に破れた旧体制側の元首がギロチンにより処刑され、初めて革  命は達成されるといわれています。慶喜は武力闘争を極力避け、明治新政府樹  立後も処刑されることもなく存命しました。しかも、最終的に朝敵の汚名が返  上された慶喜は「公爵」として明治新政府に受け入れられてます。それと最後  にもう1つ。現存する木戸孝允の書簡の中に次のような1文があります。   「今や関東の政令一新し、兵馬の制また頗る見るべきものあり、一橋(=慶    喜)の胆略決して侮るべからず、もし今にして朝敵挽回の機を失い、幕府    に先を制せらるることあらば、実に家康の再生を見るが如けん」  木戸孝允は慶喜を「徳川家康の再来」として警戒するよう同士に伝えています。  普通のものさしでは測れない特殊な人物であることだけは確かなようです。
歴史はあくまで趣味
  以上が私が尊敬する歴史上の人物です。あ、あと、関ヶ原で悲劇的な最後を  遂げた大谷吉継なんかも好きですね。「義の人」って感じで。しかし、俺って  物理の勉強しないでこんなことばっかりやっていいのかな?



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