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●成実が眠る亘理伊達氏の菩提寺・大雄寺(だいおうじ)
亘理伊達家初代・成実、五代実氏の御霊屋、成実父・
実元の位牌堂、及び亘理伊達家歴代の墓所がある大雄寺
です。
この大雄寺は亘理伊達家の菩提寺として建立されまし
たが、もともとは「雄山寺」と呼ばれていて、福島県信
夫郡小倉村にありました。それを慶長9(1604)年
に、初代成実が最初の居城があった小堤城跡に移築した
ものです。画像にある山門は文政年間(1818〜18
30)の建立で、現在ある本堂は明治30(1897)
年に改築されたものです。
御霊屋建築の廟といえばすでに紹介している経ヶ峯の
瑞鳳殿が有名です。規模こそ小さいですが、近年行われ
た亘理町による修復事業により画像にあるように当時の
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| (1)山門 |
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姿を甦らせました。また、この成実御霊屋は江戸初期に
建立されたものが現存しているため、松島の円通院霊屋
と並んで、霊廟建築のものとしては県内最古のものにな
ります。
●伊達家の内紛・天文の大乱
前述のとおり、同地には成実父にあたる実元の御霊屋
(位牌堂)があります。伊達家といえばやはり政宗の名
が最初にあがりますが、政宗誕生以前には天文の大乱と
いう奥羽の緒将を2分する伊達家の内紛がおこっていま
した。その大乱にこの実元も深く関わっています。
伊達家の内紛とは政宗曾祖父の稙宗と祖父晴宗の対立
を意味するため、政宗から伊達家を紹介している資料で
はあまり取り上げられません。その稙宗は陸奥国守護に
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| (2)県指定文化財・伊達成実御霊屋 |
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補任された人物で、伊達家を有力な戦国大名へと飛躍さ
せた人物であるともいえます。稙宗は勢力拡大のために
婚姻政策を多用しました。そして自身の第5子実元に精
兵100騎を添えて越後の上杉定実のもとに婿入りさせ、
さらに娘婿である相馬顕胤に伊達領の一部を与えようと
しました。しかし、これらの行為は伊達家そのもののが
衰退しかねないとし、多くの家臣が反対するのです。こ
こに至り、嫡子晴宗は兵を挙げ、稙宗を西山城に幽閉す
るのです。後に稙宗は救出されますが、晴宗、稙宗にそ
れぞれ奥羽の緒将がつき、後に「天文の大乱」と呼ばれ
る乱へと発展するのです。互いに抗争を続けるも将軍足
利義輝が稙宗に停戦命令をくだし、稙宗の隠居という形
で乱は治まりました。
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| (3)亘理町指定文化財・伊達実元御霊屋 |
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●参考文献
学研 歴史群像シリーズ19
伊達政宗【独眼竜の野望と咆哮】
伊達泰山文庫 伊達泰宗 伊達氏系図(巻一)
中世期における伊達家の歴史
山川出版 宮城県の歴史散歩
及び亘理町教育委員会、亘理町文化財保護協会、
伊達家御廟修復奉賛会作成現地説明板
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| (4)亘理町指定文化財・亘理伊達氏墓所 |