大雄寺(亘理伊達家御霊屋)

(宮城県亘理郡亘理町字泉ヶ入 常磐線亘理駅下車徒歩25分)
       

  ●成実が眠る亘理伊達氏の菩提寺・大雄寺(だいおうじ)  亘理伊達家初代・成実、五代実氏の御霊屋、成実父・ 実元の位牌堂、及び亘理伊達家歴代の墓所がある大雄寺 です。  この大雄寺は亘理伊達家の菩提寺として建立されまし たが、もともとは「雄山寺」と呼ばれていて、福島県信 夫郡小倉村にありました。それを慶長9(1604)年 に、初代成実が最初の居城があった小堤城跡に移築した ものです。画像にある山門は文政年間(1818〜18 30)の建立で、現在ある本堂は明治30(1897) 年に改築されたものです。  御霊屋建築の廟といえばすでに紹介している経ヶ峯の 瑞鳳殿が有名です。規模こそ小さいですが、近年行われ た亘理町による修復事業により画像にあるように当時の

(1)山門

姿を甦らせました。また、この成実御霊屋は江戸初期に 建立されたものが現存しているため、松島の円通院霊屋 と並んで、霊廟建築のものとしては県内最古のものにな ります。 ●伊達家の内紛・天文の大乱  前述のとおり、同地には成実父にあたる実元の御霊屋 (位牌堂)があります。伊達家といえばやはり政宗の名 が最初にあがりますが、政宗誕生以前には天文の大乱と いう奥羽の緒将を2分する伊達家の内紛がおこっていま した。その大乱にこの実元も深く関わっています。  伊達家の内紛とは政宗曾祖父の稙宗と祖父晴宗の対立 を意味するため、政宗から伊達家を紹介している資料で はあまり取り上げられません。その稙宗は陸奥国守護に

(2)県指定文化財・伊達成実御霊屋

  補任された人物で、伊達家を有力な戦国大名へと飛躍さ せた人物であるともいえます。稙宗は勢力拡大のために 婚姻政策を多用しました。そして自身の第5子実元に精 兵100騎を添えて越後の上杉定実のもとに婿入りさせ、 さらに娘婿である相馬顕胤に伊達領の一部を与えようと  しました。しかし、これらの行為は伊達家そのもののが 衰退しかねないとし、多くの家臣が反対するのです。こ こに至り、嫡子晴宗は兵を挙げ、稙宗を西山城に幽閉す るのです。後に稙宗は救出されますが、晴宗、稙宗にそ れぞれ奥羽の緒将がつき、後に「天文の大乱」と呼ばれ る乱へと発展するのです。互いに抗争を続けるも将軍足 利義輝が稙宗に停戦命令をくだし、稙宗の隠居という形 で乱は治まりました。

(3)亘理町指定文化財・伊達実元御霊屋

  ●参考文献 学研 歴史群像シリーズ19    伊達政宗【独眼竜の野望と咆哮】 伊達泰山文庫 伊達泰宗 伊達氏系図(巻一) 中世期における伊達家の歴史 山川出版 宮城県の歴史散歩 及び亘理町教育委員会、亘理町文化財保護協会、  伊達家御廟修復奉賛会作成現地説明板

(4)亘理町指定文化財・亘理伊達氏墓所

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