米沢城跡(上杉神社)

(山形県米沢市丸ノ内1−4−13)
       

  ●伊達政宗誕生の地  米沢城といえば伊達政宗が誕生した城として有名です。 伊達氏の置賜地方の支配は8世宗遠による侵攻以来とさ れ、以後、政宗が岩出山に移封されるまでの210余年 間、この地は伊達氏によって統治されました。特に輝宗、 政宗の2代はこの米沢城を本拠としていました。  「政宗誕生の地」ということで非常に期待してこの米 沢に行ってみましたが、藩政時代は近世上杉氏の支配下 にあったため、米沢市内はまさに上杉一色でした。至る 所に上杉氏の軍旗・「毘」の旗がなびいており、画像に ある「伊達政宗誕生の碑」がかろうじてこの地が政宗誕 生の地であることを示しています。 ●初代米沢藩主は上杉謙信!!

(1)本丸北門跡

 米沢城は鎌倉時代の初期、幕府重鎮の大江広元の子時 広が置賜地方の地頭になり、長井氏を称してこの地に館 を築いたのが起源とされています。その長井氏は前述の 伊達宗遠によって滅ぼされ、以後、この地は伊達氏の統 治となりました。伊達氏の岩出山移封後は蒲生氏郷家臣 ・蒲生郷安の城となりますが、上杉景勝が会津120万 石に封じられてからはその家臣・直江兼続の居城となり ます。  そしてさらに時代は進みます。豊臣政権下で五大老に 就任していた景勝は石田三成と結託し、会津にて兵をあ げます。景勝は反家康の立場をとり西軍として秀吉死後 の争乱に参戦するのです。しかし、周知のとおり関ヶ原 にて家康率いる東軍が大勝、石田三成逃亡により家康を 除く五大老の毛利輝元、宇喜多秀家、そして景勝は敗軍 の将となってしまうのです(前田利家はすでに死去)。

(2)伊達政宗誕生の地の碑

戦後、当然西軍に与した諸将には家康によりきびしい罰 が与えられます。他の大名が死罪、流罪、改易される中、 景勝については何とか領地削減(120万石→30万石) のみで済まされ上杉の家名を保つことができました。そ して景勝はこの米沢の地に移り米沢藩主として以後、こ の地を治めます。  ●名君・上杉鷹山治憲!!  最初にこの地に入部した景勝が近世上杉氏初代として その藩政に取り組むはずでしたが、景勝以下上杉家中は その尊敬の念から、あえて先代の上杉謙信を米沢藩祖と 定めました。以後代々この地は幕末まで上杉氏が治めま す。また、景勝以降の上杉氏ではアメリカ大統領J・F ・ケネディが最も尊敬する政治家としてあげた、「なせ

(3)上杉謙信銅像

  ば成るなせねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなり けり」の文句で有名な十代上杉鷹山治憲という名君も輩 出しています。 ●参考文献 学研 歴史群像戦国ベストセレクション    疾風上杉謙信【破竹の懸り乱れ龍】 河出書房 平井聖・小室榮一 図説日本の名城 新人物往来社 別冊歴史読本 戦国古城と里               武将のふるさとを歩く 山川出版社 山形県の歴史散歩 及び現地説明板

(4)上杉神社


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