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●伊達政宗誕生の地
米沢城といえば伊達政宗が誕生した城として有名です。
伊達氏の置賜地方の支配は8世宗遠による侵攻以来とさ
れ、以後、政宗が岩出山に移封されるまでの210余年
間、この地は伊達氏によって統治されました。特に輝宗、
政宗の2代はこの米沢城を本拠としていました。
「政宗誕生の地」ということで非常に期待してこの米
沢に行ってみましたが、藩政時代は近世上杉氏の支配下
にあったため、米沢市内はまさに上杉一色でした。至る
所に上杉氏の軍旗・「毘」の旗がなびいており、画像に
ある「伊達政宗誕生の碑」がかろうじてこの地が政宗誕
生の地であることを示しています。
●初代米沢藩主は上杉謙信!!
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| (1)本丸北門跡 |
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米沢城は鎌倉時代の初期、幕府重鎮の大江広元の子時
広が置賜地方の地頭になり、長井氏を称してこの地に館
を築いたのが起源とされています。その長井氏は前述の
伊達宗遠によって滅ぼされ、以後、この地は伊達氏の統
治となりました。伊達氏の岩出山移封後は蒲生氏郷家臣
・蒲生郷安の城となりますが、上杉景勝が会津120万
石に封じられてからはその家臣・直江兼続の居城となり
ます。
そしてさらに時代は進みます。豊臣政権下で五大老に
就任していた景勝は石田三成と結託し、会津にて兵をあ
げます。景勝は反家康の立場をとり西軍として秀吉死後
の争乱に参戦するのです。しかし、周知のとおり関ヶ原
にて家康率いる東軍が大勝、石田三成逃亡により家康を
除く五大老の毛利輝元、宇喜多秀家、そして景勝は敗軍
の将となってしまうのです(前田利家はすでに死去)。
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| (2)伊達政宗誕生の地の碑 |
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戦後、当然西軍に与した諸将には家康によりきびしい罰
が与えられます。他の大名が死罪、流罪、改易される中、
景勝については何とか領地削減(120万石→30万石)
のみで済まされ上杉の家名を保つことができました。そ
して景勝はこの米沢の地に移り米沢藩主として以後、こ
の地を治めます。
●名君・上杉鷹山治憲!!
最初にこの地に入部した景勝が近世上杉氏初代として
その藩政に取り組むはずでしたが、景勝以下上杉家中は
その尊敬の念から、あえて先代の上杉謙信を米沢藩祖と
定めました。以後代々この地は幕末まで上杉氏が治めま
す。また、景勝以降の上杉氏ではアメリカ大統領J・F
・ケネディが最も尊敬する政治家としてあげた、「なせ
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| (3)上杉謙信銅像 |
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ば成るなせねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなり
けり」の文句で有名な十代上杉鷹山治憲という名君も輩
出しています。
●参考文献
学研 歴史群像戦国ベストセレクション
疾風上杉謙信【破竹の懸り乱れ龍】
河出書房 平井聖・小室榮一 図説日本の名城
新人物往来社 別冊歴史読本 戦国古城と里
武将のふるさとを歩く
山川出版社 山形県の歴史散歩
及び現地説明板
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| (4)上杉神社 |