【「智」の小十郎に対し、「武」の成実】
稙宗の三男実元を父に晴宗の娘を母にもつ伊達家の一門である。英毅大略あ
り、武勇無双と称され「武」の面で政宗を支える。人取橋の戦いでは芦名、佐
竹連合軍の主力を相手に討死覚悟で本陣を死守し、以後も摺上原の戦いなどで
伊達軍団の主力として政宗に従軍する。朝鮮出兵の位禄に不満をもち、一時期
政宗のもとをはなれ高野山に出奔するが、のちに帰参する。1600年の白石
の役の後に亘理城城主となり成実の子孫は以後、「亘理伊達氏」と称され仙台
藩における一門衆として重要な位置を保つ。また、成実は政宗の一代記「成実
記」を記し政宗の偉業を後世に伝え、そして晩年は三代将軍家光に奥州の軍議
を講じてその武勇を賞賛された。
|