〜「九州日報」 フクナガタケヒコ 投稿詩〜
2004.8.28

 福永武彦が幼少期(6歳)に投稿したと思われる新聞記事(大正 13年2月2日付け↓)を公開いたします(ちなみに下にリンクしてある「Q作ランドでの発見」をお読みくださればわかりますが、私・上村は第一発見者では ありません)。

 調査したのは今から2年前の2002年2〜3月にかけてですの で、公表が大夫遅れてしまいました。調査には福岡市総合図書館のマイクロフィルムを使わせてもらいました。そこでコピーをとったものをデジカメで写真を 撮って公開いたします(写真が斜めになっています。お許し下さい)。

(翻刻)
童  謡
  11 ネコ(途中判読不能)トイヌ
    フクナガタケヒコ(六ツ)
ユキガフツタラ
ネコハコタツニ
マンマルイ
イヌハヨロコビ
ネコケン (この五行目はおそらく誤植で、ネ コクンだと思われます)
アソボ

 上記の通り、フクナガタケヒコの詩は「子供くらぶ」の欄に掲載さ れています。この「子供くらぶ」は、刊行されたすべての九州日報の記事を確認したわけではありませんが、ほぼ毎日掲載されている様子でした。(夕刊だった か、朝刊だったか、そこらあたりの記憶があやふやです。早めに公開しておくべきでした。)
 また、上のほうに< 童話 先生の眼玉に(上)香倶士三鳥> とありますが、この「香倶士三鳥」とは夢野久作のペンネームのようです。→・a href="qsaku.html">関連記事「Q作ランドでの発見」(西日本新聞)
 
 なお「九州日報」は戦前まで発行された新聞です。現在の「西日本新聞」 (本社福岡市)の前身にあたります。


 ところで、以前から幼少期の投稿については噂に聞いたり、文章で 読んだりしていました。源高根氏によると…

 「…小学校一年生のとき「九州日報」に俳句を投稿したのが 掲載されたそうであるが、これはまだ見つからない。…」(源高根『編年体・評伝福永武彦』桜華書房10ページより)

 源高根氏は「俳句」と書いています(おそらく生前の福永が交際の あった源氏にそういうことを言っていたのでしょう)。これを受けて福永武彦が福岡に滞在した期間、俳句に関連する記事も見ていったのですが、福永武彦の投 稿は見あたりませんでした(「俳壇」「月曜俳壇」といった欄もありましたが、これらはどうも大人の投稿俳句でした)。また私の見落としもあるかもしれませ んが、福岡市総合図書館蔵・「九州日報」マイクロフィルムは欠号もあり、もしかするとその中にあるのかもしれません。

(福永武彦 福岡滞在期間 大正10年〜15年) 
<曾根博義編『鑑賞日本現代文学27井上靖・福永武彦』(角川書店)の年 譜を参照しました。>

1918年大正 7年3月19日福岡県二日市生まれ
「武彦は出生直後、一時、横浜や佐世保で暮らしたが、父が福岡支店勤務と なってからは両親とともに福岡市で幼児を過ごした。」
1921年大正10年11月(3歳) 三井銀行横浜支店勤務だった父・末 次郎が福岡支店に転任
1924年大正13年 4月(6歳) 武彦、福岡市当仁(とうにん)小学 校に入学。
1925年大正14年 3月27日 弟・文彦生まれる。(武彦7歳)
      4月12日母トヨ、産褥熱で死去(享年29) →葬儀案内(九州日報)
      5月福岡市大字下警固五〇九に転居。警固(けご)小学校へ転 校。
1926年大正15年 6月(8歳)父の東京本店への転任にともない東京 へ。東京府下荏原郡平塚町の伯父宅に寄寓し、宮前小学校に通う。

→ 当仁小 学校・現在の当仁小学校周辺



 この資料を探すにあたって以下の方々に助言・資料提供をしていただきま した。厚くお礼申し上げます。

花田俊典先生 (故人)
坂口 博氏 創言社(福岡市)


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