当仁小学校 福永武彦 6歳〜7歳
2004.8.28

源高根『編年体・評伝福永武彦』(10ページより)

 大正一三年四月、福岡市当仁(とうにん)小学校に入学した。かつて私はある文学全集の「福永武彦文学紀行」*を書くために、この小学校に保存されていた学籍簿を調査たことがある。成績は甲乙丙時代の全甲。住所は福岡市浪人町**九番地。原籍は筑紫郡大野村下大利一八三とあった。これは水城跡のあたりである。(中略)大正一四年四月十二日、母とよ逝去。(中略)小学校二年生になったばかりの七歳の春、母を喪った福永武彦は、福岡市大字下警固五〇九に転居し街の中心に近い警固(けご)小学校に転校した。…」

**現在の福岡市中央区唐人町(とうじんまち)。「浪人町」(ろうにんまち)は明治5年から昭和43年までの町名。「浪人町」の由来は、「江戸期当地に藩に士官を求めて諸国から集まった浪人が住んでいたからとする説がある。昭和中期頃、中当仁町とも呼ばれた。」(『角川日本地名大辞典40福岡県』昭和63年刊を参照しました。)

当仁小学校・旧校舎

写真は源高根・福永武彦文学紀行「内なる海・心の河」の中から借用しました。
*上の『編年体・評伝』で触れている「福永武彦文学紀行」とはこのことだと思われます。
(『現代日本の文学41 中村眞一郎 福永武彦集』昭和46年、学習研究社)

 源氏の文学紀行の他に、「草の花」「一時間の航海」「夜の寂しい顔」「福永武彦詩集(抄)」を収録しています。また「福永武彦武文学アルバム」という形で「「草の花」の舞台となった西伊豆・戸田港の写真や「海市」の舞台と思われる伊豆・落居(おちい)の写真などが掲載されています。
作品だけでなく写真も豊富ですので参考になるかも知れません。もっとも新潮社の文学アルバムに掲載されている写真も多いですが。(中村眞一郎についても同様です)この本は現在ではおそらく古本屋を探すしかないでしょう。福岡市内の古本屋で500円前後で買った記憶があります。
 


 「…旅から帰ってぼく(源高根氏)が「当仁小学校に成績が残っていたのを見てきましたよ」
といったら、「幼年」の作者(福永武彦のこと)は少しばかり心配そうに訊いた、「そうかい、それでどうだった」「それがちっとも面白くなくて全甲でした」
 全甲といっても今の若い読者には通じないだろうが、戦前の小学校成績は上から順に甲乙丙丁(こうおつへいてい)とついたのである。乙なんぞはその形がにているところから、アヒルと呼んで大いに馬鹿にしたものだ。…」

(福永武彦文学紀行「内なる海・心の河」現代日本の文学41』35〜36ページより)


現在の当仁小学校ならびに周辺(2002年12月撮影)

現在の当仁小学校周辺
旧校舎は残っていませんでした。

当仁小正門

唐人町1丁目 商店街になっています
浪人町九番地がどのあたりだったのか、見つける時間がありませんでした。

 夕方は買い物客でにぎわう唐人町商店街入り口 このすぐ右側に当仁小学校があります。
このあたりはところどころ戦前から残っているような古い住宅もありました。


 戻る