〜トヨ 葬儀案内〜
2004.8.28

福永トヨ 明治28年〜大正14年(享年29)

『幼年』(全集第七巻353ページ)より

 …人は思い出す時に楽天的な傾向を持ち、不愉快な体験は、それが不愉快だったことだけは覚えているが、その事件の具体的な詳細はすぐにわすれてしまうと心理学では教えていて、私の場合の最も不愉快な体験は勿論母の死であり、そのためか母の死に関して私は(今も昔も)まるで覚えていない。母は病院で死んだが、その日附の他は、どこで、どういうふうに、どんな病気で死んだのかさえも知らなかった。その時弟が生まれ、母は産褥熱で亡くなったと後に聞かされても、またその小さな赤んぼが家に帰って来てからは乳母をたのむのにどんなに苦労をしたか、それは父がその乳母の健康状態について口やかましい註文をだしたせいだが、その話を数年前に佐世保の伯父から説明されても、(というのはその田舎からきた乳母を世話したのはおじだったから)、私には赤んぼのことも乳母のことも伯父のことも、まったく思い出せなかった。母の葬式のことも何ひとつ覚えていない。…
 
 

「九州日報」大正14年4月15日朝刊
紙面の左下に掲載されていました

(翻刻)
荊妻トヨ儀 豫
テ病気入院加療中
ノ處養生不相叶本
月十二日午前五時
半永眠仕候間此段
御通知申上候
 追テ葬儀ハ途中葬列ヲ廢
 シ四月十五日午後二時半
 ヨリ大名町アルパ教會ニ
 於テ執行可仕候
大正十四年四月十五日
 福永末次郎
男  武彦
男  文彦
 外親族一同


荊妻トヨ儀 かねて病気入院加療中のところ 養生あい叶わず本月十二日午前五時半 永眠つかまつりそうろう間(あいだ)この段ご通知申し上げそうろう
 追って葬儀は途中葬列を廃し 四月十五日午後二時半より 大名町アルパ教会において 執行つかまつるべくそうろう


(漢和辞典を使って書き下してみました。間違いがあるかもしれません。)
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 最初このページを作成したとき、上記の断り書きをつけておきましたが、その後どなたか分かりませんが、とよくらさんのHP掲示板で間違いを指摘して頂きました。ご指摘に感謝申し上げます。


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