なぜ、いま街頭紙芝居なのか?



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 今は昔、戦後の日本が高度経済成長に突っ走る少し前、くず鉄がころがる路地で遊ぶ子どもたちは、ある芸能者がそこへやってくるのを毎日心待ちにしていました。言わずと知れた「紙芝居のおじさん」その人であります。

 児童向け大衆娯楽として戦前・戦後にブームを巻き起こした「街頭紙芝居」は、その黄金期とされる昭和20年代には、全国で5万人の実演者がいました。意外に思うかもしれませんが、「街頭紙芝居」で使用される絵はすべて手描きの1枚物、様々な境遇の絵師たちが描いたオリジナルの絵が全国津々浦々に配給されていました。紙芝居はもともとは平安時代に端を発する「絵解き」という芸能の系譜につながる‘日本独自’の文化であると言われています。ところが、昭和30年代に入ると「電気紙芝居」、すなわち「テレビ」の人気におされて、紙芝居は街頭から姿を消していくことになるのです。現在では、東京と大阪に数名の紙芝居師を数えるのみになりました。「街頭紙芝居」は、もはや時代的役目を終えてしまったのでしょうか。

 しかし、日本が世界に輸出できる文化として注目され、発展・繁栄を誇っている漫画やアニメーションも、もとを辿れば「街頭紙芝居」を原点とし、揺籃として成長してきました。また一方で、「テレビ芸」の薄っぺらさとそれが文化に与える影響の深刻さを指摘する一流の芸能者たちの声は絶えることがありません。現代のマスメディアは、芸人ばかりでなく、見る側の感性をこそ萎えさせているのではないでしょうか。

 連続した物語絵を楽しみながら、おじさんの語りや演技に耳を澄ませ、目をこらす。紙芝居の自転車が停まった場所は露天の劇場であり、出し物は最も小さなサイズの総合芸術でした。生身の芸能文化がやせ細ったいまこの時代に、テレビ直前の文化形態を持つ「街頭紙芝居」を想起しておくことは、とても意味深いことと思われます。

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 とはいえ、「紙芝居文化」は無くなってしまったわけではありません。印刷系とも言われる教育紙芝居は児童文化の一ジャンルとして健在ですし、近年は、絵本や児童文化の愛好者をも取り込んで、手作りの紙芝居(創作紙芝居)も作られるようになり、再び関心が高まっています。研究会が作られ、各地で「手作り紙芝居まつり」などの催しが開催され、また、ベトナムをはじめ、東南アジアや欧米には[KAMISHIBAI]として紹介されるなど広まりをみせています。おなじみの絵を引き抜きながら語り聞かせる「平絵形式」の紙芝居が考案されたのは、昭和5年といわれますが、それが街頭で人気を博すようになるや、紙芝居のメディア性に着目し、キリスト教の伝道のツールとして福音紙芝居が発生し、また、一部の教育関係者が、児童文化運動のスキルとして「教育紙芝居」を理論化・実践化していきました。教育紙芝居は、紙芝居生業者たちの商売のあり方と作品の卑俗性を批判し、その「浄化」を目標に掲げ、「街頭」とカテゴライズしつつ、子供の自発的な創造性の育成を目的とした
教育運動として発展、普及しました。それらの印刷系紙芝居は、印刷による量産と主に保育・教育施設へ販売するという近代的な運営形態を採ったことで、経営的に街頭系に比べれば安定していました。また、紙芝居が低コストで強力に子供の心に訴える力を有するゆえに、先の大戦を通じて教化紙芝居、国策紙芝居として利用された歴史については、近年、メディア史や教育史の研究でも高い関心をもたれています。

 街頭紙芝居の運営のシステムは、小さな個人経営の製作社が作品を作り(作品は主に東京で、1/3ほどが関西製)、それが全国に巡回貸し出されていました。それらオリジナルの絵を借りて街頭で営業していた更に末端の紙芝居の実演者たちは、「飴ひとつ売ってなんぼ」で生計を立てていました。そして、様々な偏見による社会的差別や圧力など、彼らの商売は決して世間に暖かくは受け入れられていなかったといいます。とはいえ、特に戦後、敗戦の荒廃と貧窮の中で、希望の星としてベビーブームのただ中に生まれ育っていった沢山の子どもたちの唯一の娯楽として、街頭紙芝居は絶大な人気を得ていたのです。教育関係者の心配とはうらはらに、街頭紙芝居のくる路地や広場は強力な磁場を持っていました。また、その出し物である作品は、映画や大衆小説、貸本漫画…後にはテレビ番組に至るまで、当時庶民に好まれていた様々な大衆文化と地続きでした。街頭紙芝居は、理念や思想を啓蒙するための一方的なメディアというより、ビジュアライズされた芸能として、幅広い年齢層の子どもたちが共有する娯楽でした。子どもたちのリアクションは演者を通して制作者にフィードバックされる仕組みをも有していました。作品性の正確な伝達や子どもの情操への影響を大事にする教育紙芝居が、演じる場合のマニュアルを整え、様々なドグマを設定するのに比べ、流れる子どもたちの気持ちを誘い込み、引きつけ、飴を買わせなければならない街頭紙芝居は、むしろ演じ手の(臭いほどの?)演技、またアドリブや脚色などが「読み」の評価の対象となり、それが実演者たちの売り上げにダイレクトに影響しました。技術を伝え教育する制度こそありませんでしたが、実演者たちは、過去の芸能や流行りの語り藝、先輩達の演技など様々なものから語りの技術を習得していったのでしょう。また、その玉石混交の芸の中から上手い下手を見分ける眼力や聴く力を当時の子どもたちは当たり前に持っていたのだと思います。

 テレビ以後の文化体験の中で育ったものにとって、このような密度の濃い磁場に成立する街頭紙芝居はやはり未体験な文化と考えざるを得ません。

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 『研究会・みちのく芸能大学』では、研究活動のテーマのひとつとして、仙台に残る「街頭紙芝居」の絵を活用しつつ、紙芝居文化を研究し、さらには現代の表現者にとって魅力ある表現手段として再生する可能性を探っています。常に大衆の側にあって、どんな統制をも無化していたというメディアであり娯楽であった「街頭紙芝居」から今私達が学べることは、少なくないと感じています。すでに、紙芝居が全盛だった頃の磁場を現在の路上に発生させることは難しいのかもしれませんが、むしろ現在に至ったからこそ、それまでの偏見や空虚な対立から距離をおくことができるし、思想やイデオロギーの壁を越えて、「最もシンプルなBODYを持った総合芸術」ととらえ直すことで、表現の新しい地平を覗いてみることができるのではないかと考えています。(みちのく芸能大学/代表・すずき佳子)