今川二重太_profile 

大判焼きの呼び方は松山市が発祥でした!
 【歴史】【形状】【材料】【作り方


正式名称を”今川焼”と言い
別名、二重焼、大判焼、回転焼、太鼓饅など々地方の呼び方があるお菓子。
その他の呼び方、回転饅頭・円盤焼・あまやき・おやき・黄金焼 等など。
呼び方分布地図を作って見ました。
二重焼きの呼び方ランキングを作って見ました。どの呼ばれ方が一番多いのかな?

調査中
この今川焼きが名前を変えて、どのように全国に広がったか?調査中です。

今のところ
今川焼き】やっぱり発祥の地、関東地方に多い。
大判焼き】どうも全国的に広がっている呼び名みたい。
回転焼き】西日本地方に集中(四国以外)。九州は回転焼きが一般的らしい。
二重焼き】どうも中国地方だけの呼び方みたい。ヽ(^。^)ノアレアレー?

何か知っていることが有りましたら、メールくださいね。メール


今川焼きの由来
1800年頃、江戸は神田の今川橋付近の露店で販売されたので今川焼きとなった説が本当らしい。
今川橋(現在の千代田区鍛冶町1丁目と中央区日本橋室町4丁目を結んでいた橋)



回転焼きの由来(メールより)
 回転焼の由来ですが、もともと円形の焼き板に丸型が並んでいて、円形の焼き板の中心に軸があり手前で焼きやすいように焼き板を回転させたことから回転焼と呼ばれるようになりました。

 1960年ころ、仙台で回転焼きと呼んでいました。
円形のくぼみが、直径1bくらいの円盤に、2重の円状に並んでおり、回転させながら作っていました(2007/1)

*ひょっとしたらこの機械が西日本で普及したのかも?
どんな物なのでしょうか?(なんとか資料を探しましょう。)

※)上記の回転焼き機は、1950年頃には使われていたそうです。
右の写真の回転焼き機と一緒かな?(2005/3/20)



※)右の写真は回転焼き機です。


ネットで検索中に巡り逢えた、”visage”さんの写真です。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/2684/
(2003/3/9)
大判焼きの由来
【由来、その1】
どうも、大判焼きの由来は、大判・小判(江戸時代のお金の単位)みたいです。
(形状が残っている地方も有るそうです。)

【由来、その2】
回転焼きと呼ばれていたものを少し大きく(大きな判 big size)したので大判焼きと呼ばれる様になった説。

で、昭和35年前後から、この業界の方が「大判焼き」の名前で、全国に材料や機器を売られたので、現在、大判焼きって呼び名が全国区になった。  のかな?(*^.^*)(仮説)

■大判焼きのルーツを紹介するサイトが有りましたの紹介します。(2002/10)
花園町の通りと三番町との交差点のところに、ハンドメイド材料・器具の店「松山丸三」があるが、この店が「大判焼」の元祖らしいわい。
昭和33年に「大判焼の素と器具」を開発し、これが大ヒットとなったんじゃと。大判焼のルーツが松山にあったとは意外なもんじゃ。

こたろう博物学研究所さんのホームページより
仮説が少し真実らしくなりました(*^.^*)エヘッ

■韓国の方からメール頂きました。(2003/5)
韓国ではオバントク(obang-ttok)と呼ばれるのが普通ですよ
韓国のオバントクは日本起源のはず。日本起源だったら、日本の韓国占領統治時期の流入ではないかと、これまで呆然と思ってましたけど、・・・・・・(中略)
やっぱり韓国におけるおおばんやき(オバントク)流行の始まりは、日本の韓国占領統治の終わった1945年以後かも知れませんね。


オバントク=おおばん焼き。いかにも語源っぽい!戦時中に日本人の誰かが持ち込んだ?・・・・
二重焼きもいろいろと奥が深いものだ。

■大判焼きのルーツについてメールを頂きました(2005/3/20)
あるメーカーが、『大番焼のもと』と名して焼形と一緒に販売したのが由来です。しかし、『大番』というお菓子があった為、『大判焼』と後に変更し現在に至る。
※)松山のお店の方からのメールです。
  上記の紹介サイトもあり「大判焼きの呼び方」のルーツ確定?かな。

 確定!大判焼きの由来!!(2005/5/22)
 大判焼きのルーツがわかりました!


【下記は株式会社松山丸三さんのホームページからの抜粋です】

昭和31年〜33年、獅子文六の小説『大番』が週刊朝日に掲載され、ユーモラスな出世物語が話題を集めた。大番という名前をつけたお菓子も登場。松山丸三でもタイコマン焼き機を販売していたので、そのサイズを大きくして「大番焼き機」に変えようという案があった。だが、まてよ、小説と同じ名前は使わない方がいいだろうと、字を変えて『大判焼』する。あんこがたくさん入った大型サイズの『大判焼』は景気がよいと喜ばれ大ヒット。材料は独自に『大判焼の素』を開発し、大判焼の器具一式と大判焼の素をあわせたセットは、素人でもすぐ店が開けるということからみるみる間に、四国、中国地方から全国へと広がった。今や全国区の「大判焼」の発祥が愛媛の松山にあったとは、今となれば「意外な事実」かもしれない

(※)松山丸三様には、ご丁寧な返信メールを頂きました。ありがとうございました。
    http://www.m-marusan.co.jp/

 今まで色々な方からメールを頂いた通リ、「松山丸三」さんが、大型サイズ(Big Size)で「大判焼き」の呼び方のルーツで確定ですね。広島から近いところにルーツが有ったのでびっくりです!

 お江戸の今川が発祥の今川焼きが、松山で大判焼きになるなんて・・・。感動!


太鼓饅の由来
大判焼きは「タイコマン焼き」をBig Sizeにしたとあります。
全国で呼ばれている、タイコマン焼き、太鼓慢、太鼓饅頭は、大判焼き以前から呼ばれていたみたいですね。
【由来、その1】
単純に、その型が太鼓に似ているから?。Or 二重焼きの型をもともと「太鼓型」と呼ぶから?


二重焼きの由来
二重焼きってたこ焼きと違って型枠を二つ使って、片面づつ焼いたものを重ねて(合わせて)出来上がりなのです。だから二重焼き(二つを重ねて焼く)です。断言は出来ません。情報収集不足です。



江戸時代の後期(文化・文政すなわち1804〜1830年頃)、江戸は、神田今川橋付近で売り始めたのが最初です。
この事から「今川焼き」の名前がつきました。

二重焼きの歴史を作りました。

このお菓子が形を変えて1909年に「たい焼き」が生まれました。
ちなみに、大判焼きと呼ばれる様になったのは、1957年頃からです。



直径約7Cm・高さ約2〜3Cmの円柱形/表面はきつね色で、触ると柔らかい。
どら焼の外側を一体化させた様なお菓子。

大判焼の形状(メールより)
宮城地方では大判(小判)の楕円形だそうです。
だから鯛焼き?も二重焼きが原点なのかな?



材料 【外側】 小麦粉・たまご・膨張剤・糖類(砂糖・はちみつ等)・食塩
【中身】 小豆あん白あん・クリーム・
             (お好みにより何でも可?さつまいも、カレー、栗入りも有りました)
     MENU(あん)のページ  あん=中身・具のことです。
(注・アレルギー体質の方は「たまご」はいれないほうが良い。
市販品にも「たまご」なしを表示してある物もあります。)



銅板に銅の輪をのせ、水で溶いた小麦粉を注ぎ、中に餡などを入れて焼いたお菓子。

今は輪のかわりに多数の円形のくぼみをもつ銅の焼型を用います。




家庭では、ホットプレートと型枠で比較的簡単にできますよ。
(私、今川二重太はこれで究極の二重焼きを模索中です。(*^.^*)エヘッ(爆笑))

ちょっと本格的な二重焼手作り。
(私、今川二重太がついに手に入れた銅製の二重焼き器\(^o^)/)

おもしろい二重焼きを紹介します。
第一弾は、広島菜が入っている二重焼きです。
中国新聞にも紹介されました。

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