生まれた頃・・・・・1980年

TOMOとFUMI

TOMOは、1980.9.17  TOMO=2100g、FUMI=2950g、
双子の弟として、東京に生まれました。
上に2才4ヶ月のTAKA兄ちゃんもいて、FUMI兄ちゃんと3兄弟の末っ子です。

出産時、お腹の中で、心音聞こえず、緊急帝王切開となり、
それでも、仮死30分・・・やっと呼吸をはじめました。
痙攣、血性嘔吐などで、生後2日目に、救急車に乗って、新宿○○病院に行きましたが、
ほとんど、助からない状態でした。
それでも奇跡的に、どうにか命をとり止め、生後3ヶ月で、退院する事が出来ました。

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上の写真は、退院して、初めて二人揃ってのものです。 
この時は、まだ、TOMOの障害を私は、まったく知らされていませんでした。
暢気な私は、只々、双子で体重が少ない未熟児だとばかり思っていましたので、
もちろん、救急車で行くほど、危篤状態なことも、痙攣も知りませんでした。

確かに夫の様子もおかしかったり、話のつじつまが合わなかったり・・・
今考えると、普通の状態ではなかったと思います。
2才の長男と 生まれたばかりの次男を見るのが、せいいっぱいで、
「TOMOはまだ退院できないの?」
「体重が増えないんだ・・・・ もうすぐだよ・・・」の言葉に、
それにしても、なかなか、退院できないTOMOを思いながらも、
病院に毎日電話して、安心しようとしていました。

生まれる前から、千葉に引越しが決まっていたので、TOMOが入院中に
引越ししましたので、自宅と病院までは2時間かかるのです。
2人の子供を連れてまで、行けませんでした。

はじめて、TOMOの障害を聞かされたのは、退院後の健診の前日でした。
病院で、TOMOの障害について言われると、思った夫がやっと打ち明けたのでした。

一卵性双生児のはずなのに、TOMOとFUMIは、そっくりではないし、
TOMOが寝ている姿が、どことなく、変な感じがしていたのです。
その予感が、当たりました。

さぁ、それからが大変でした。
保健婦さんから、「何かあったら、お電話ください」と名刺を渡されていたので、
健診の翌日に相談して、早速、リハビリセンターに予約をし、
障害の本も、たくさん、夫が買い込んできました。
脳障害がよくわからず、無我夢中でした。

幸いな事に、友達の妹さんが、養護学校の教師をしていたので、
相談にのっていただいたり、心強く思いました。
また、三つ子のような子供達を前に、忙しさに
落ち込む余裕も、嘆き悲しむ余裕も、ありませんでした。

それと同時に、何かをすれば、必ず、良くなると、思い込んでましたから・・・・・

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心臓弁膜症だった母が、手術中、脳血栓をおこし、
全身マヒになっは、42才の時。
それから、11年、TOMOが生まれる半年前に、永眠しました。
母のときは、とてもショックで、あまり世話は出来ませんでしたが、
障害というものが、身近なものとして、私の中にありました。
TOMOの事を聞いたとき、そんな重そうに見えなかったし、
頑張れば、どうにか良くなると、思ったのでした。