母子通園・・・・・1983年7月〜1987年3月(2才〜6才)

 


2才の誕生日・・・ケーキをパックン

2才7ヶ月の時、お父さんの故郷 仙台に希望転勤で引っ越して来ました。
来る前に療育センターの見学をして、これからのリハビリも大丈夫と思って安心していました。
いざ、療育センターに行ってみると、整形外科の診察のみで、理学療法(リハビリ)には、入れず、
途方にくれました。 それも往復2時間、療育センターで2時間待って5分の診察でした。
ここに来てリハビリにも入れないくらい重度障害なのだと、思い知らされました。

どんなに重い障害でも、リハビリをしなくても、いいという事では有りません。
リハビリをしても、良くはならないかもしれないけど、
やらなければ、絶対 拘縮がおきて、全身の2次障害が出てくるのです。

ただ、機能訓練士さん達の絶対数が少ないと、
どうしても、訓練して歩けるようになる子が優先されてしまう事情があります。

仙台の「くらしのガイド」=市民便利帳で、どこかに訓練の先生いないか、と捜しました。
仙台市立母子通園施設に、理学療法士 作業療法士の先生が、常勤でいられることがわかりました。
当時から重度の障害児だったTOMOは、そこでも良い返事はなかったのですが、
「母子通園だし、お母さんが是非と言うのなら・・・」と、やっと通所許可になりました。

通いだしてみると、家にばかり閉じこもっていた私もTOMOも、
パアッ〜と世界が広がり、楽しい毎日でした。

長男はすぐに保育園に入いれましたが、2才児の次男は入れず、
TOMOと一緒にしばらく通所して、みなさんに、お世話になりました。

でも、兄弟達にとっては、どうして弟だけがいつもお母さんと一緒なのか、
不満だったのでしょう。 
特に長男は、保育園に行くのを、嫌がり、
集団生活が楽しくないという意識を植え付けてしまいました。
親の行動も気持ちも、TOMOが中心になっていたのを敏感に感じとったのでした。

TOMOの母子通園施設とTAKA、FUMIの保育園は、斜め隣の近さで、
交流保育もあり、先生方は、よき理解者でした。

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母子通園で、毎年文集を出していましたので、ここに書き写しました。

 

TOMOの好きな事・・・・・ 1984年3月 (TOMO 3才半)・・・文集から
  

  だっこされて、話しかけられるのが、一番大好き!!
  とっても幸せな気分になれるんだ!!  ぼくって、すごく甘ったれなんだ・・・。
  あおぞらホームに行くと、美人先生やお兄ちゃん先生がいて、ずっと、遊んでもらって、いいなあ。
  訓練で、チョット泣く時もあるけどね。

  家では、お兄ちゃん達がうるさいんだ。
  年中、ドタンバタン、ギャーギャーとやっていて、僕の上まで乗るんだよ。
  おとなしくしているのに、びっくりさせるんだ。
  時々、「TOMOくん、TOMOくん、TOMOく〜ん」って、呼ばれるので、
  「ウ〜ン」と、気がむくと応えてあげるんだ。

  このところ寒いけど、風がやさしく頬をなでるのも、好きなんだ。
  キッスされたのかと思って、目をパチパチしてしまう〜。
  太陽も暖かくて、好きだけど、まぶしくて、顔をしかめてしまう時もあるよ。
  音は好きなものが、たくさんあるよ。

  お風呂のポチャポチャなんていう音は、もう、うれしくなちゃうね。
  洋服を脱ぐ時からニコニコしてしまう。
  お湯の<ゆりかご>みたいで、心の中まで、ゆったりするね。
  ♪♪ い〜い湯だな〜 フフン ♪♪ と歌えないのが残念だね!!

  お鍋をかきまわす、カランカランという音、もうすぐ食事だとわかるから、
  口をパクパクさせて、早く早くと、催促するんだ。

  コーヒーカップをスプーンでかきまわすチロチロリンという澄んだ音も、いいなぁ。
  きっと、おいしいんだろうね。
  オルゴールの音も、心に響く いい音だね。

*〜*〜*〜*〜*

  僕の中では、時間が、とっても、ゆっくりだけど、けっこう人生楽しんでいるよ。
  頭も身体も、未知の可能性を秘めているなんて、スゴイ事だ!!
  これからも、好きな事を、どんどん見つけて、エンジョイ!!!
  天使の微笑を、ふやしたいな〜ぁ。

 * あそぼ〜 よ!          

             

* 兄ちゃん、重たいよ〜 ウ、ウウウ  (2才頃)

 

 

TOMOの一日・・・・・・1985年3月(4才半)・・・文集から
  

  我家の一日は、僕の大泣きで始まる。 
  一晩中ほとんど、同じ姿勢なので、体はしびれるし、まだ、眠たいし、ワァーワァー泣いてしまう。
  実は少し前までは、FU兄ちゃんも泣いてデュエット、その前は、TA兄ちゃんも一緒でトリオだった。

  僕が、まだオムツを濡らしていないと、お母さんは、オマルに座らせるので、
  シャーとオシッコすると、気持ちいいね!

  この後、兄ちゃん達が、保育園に行くまで、かまってもらえないんだ。
  9時半やっと僕の朝食。 朝は、お母さんも忙しくて、僕の食べやすいものばかり。
  40分位で終わるけど、質より量という感じなんだ。
  家の用事が終わると、もう お昼、僕〜、眠くなりそう〜〜。

  運動の時間だけど、運動すると余計に眠くなるんだ。
  体が楽になって、軽くなるみたい。
  時々、バルーンやロールの上で昼寝して、サボる事もあるけど、頑張っているよ。

  ゆっくり運動していると、又食事の時間、今度はのんびり食べられるんだ!
  お母さんも、テレビをつけて、のんびりしているから、フ〜ンフ〜ン言って、催促するんだ。
  すると、「待っていたの〜、ゴメンね!」と、あわてて食べさせてくれる。
  2人で、のんびりしているから、これは1時間かかるのはザラ、
  それに食後もだっこされて、僕は大満足!!

  そろそろ、お兄ちゃん達のお迎えの時間、また僕は、お留守番。
  テレビもおもしろくないし、早く帰ってこないかぁ〜。 
  お兄ちゃん達が帰ってくると、僕はあまり、かまってもらえない。
  それでも、お兄ちゃん達は、1日中、お母さんと一緒の僕を、うらやましくて仕方ないらしい。
  「TOMOくん、ばっかり・・・」を連発する。
  夕食は2部制で、僕がいつも後なのに、ね!

  お兄ちゃん達が、早く寝てくれるとホットとするよ。 お母さんの独り占めだ!!
  でも、僕も眠くなって来ちゃった・・・・・おやすみなさい・・・・・

* 朝寝坊の子供達


 

 

TOMOのこと・・・・・1986年3月(5才半)・・・文集から
  

  2年ほど前、TOMOが水痘で入院した事がある。 39度の熱が下がらず、口の中まで水泡が
  出来て、普段でも食事が大変なのに、ますます食べられなくなった。
  脱水状態で点滴が続けられ、ぐったりとしていた。・・・このまま死んだら楽だろうなどと ぼんやり思う。

  付き添いを交代して家に帰ると、すぐTOMOのベットを見てしまう。 いるはずもないのに
  「アレ、いない!!」と思ってしまう。 おかしいけれど、それが何度もなのである。
  ギャーギャーさわぐ兄達より存在感があるようだ。 いつも私の心の大半がTOMOに向いていて
  兄達のやきもちの原因でもある。

  そして1週間、点滴もとれ久しぶりにだっこをした。 自分でも思いかけず腕にかかる重さが、
  心地よく うれしかった。 本当に今まで生きていて良かったと思う。

  一生 身体を自由に、動かす事も話す事もできなくても、無心に微笑むTOMOは、かけがえのない
  息子である。 本人もゆったりとした時間の中で、けっこう彼なりに幸せなような気がする。

  「そんなに うれしい事があるの」と聞きたくなるほど、心の底から ニコッと笑うTOMOである。