養護学校・訪問・・・・・1992年9月〜1996年3月(11才〜15才)

 
<TOMOの状態・・・体力低下>

通学している間に、TOMOの緊張が強まり、舌根沈下、肺機能低下になってきました。
食事が飲み込みが下手で、もともと大変だったのですが、1日中食べていても、むせて吐いたり、
疲れて寝てしまったりで、体重が落ちてきました。
初めは一時的だったのですが、だんだんと毎日のようになって、点滴だけでは、持ちませんでした。

思い切って経管栄養にしようと思いました。 
鼻からチューブを入れると、とてもイヤがって、
2日目には、胃から出血してしまい体調をくずしてしまいました。
しばらくして食事の時だけ口からチュープを入れる方法でしてみると、すんなり慣れてきました。
それでも、呼吸は舌根沈下で空気が肺に入って行かないので、
あごの下を伸ばし気道確保しながらの食事でした。(1992年7月)

当時は医療ケアがあると通学できないし、車の移動中もチアノーゼになるので、
危険を感じて、訪問教育にしました。(1992年9月)

食事以外の時間も、常にゼーゼィーして苦しくなると緊張も高まって、
ますます舌根沈下してしまい、呼吸困難でチアノーゼになる事が多くなりました。
血液中の二酸化炭素が増えて、二酸化炭素中毒の症状で、とろとろしたりの連続でした。
夜も2時間寝ればいい方で、夜中に薬の吸入、痰の吸引したりで、
親子共々、慢性寝不足、もうろうとして、3年を過ごしました。

そろそろ限界を感じて、気管切開をと考えていた矢先、
いつもとは何か違う様子のTOMOなので、病院に駆け込みました。

病院では、点滴、酸素をされ、穏やかに眠り始めましたが、
血中酸素、二酸化炭素などの検査結果が出た時、先生が階段を駆け上ってきました。
これから、「○○病院に行くから・・・」「救急車で行くよ!」

その時は、いつも眠っていても硬いTOMOの体が、ふにゃふにゃで、
抱っこして、事の一大事がわかりました。
危篤状態で、緊急気管切開となり、(1995年4月) ICUにしばらく入っていました。
ベットに寝ている、緊張しないTOMOというのは、不安なものです。
ICUでも3日も経つと、笑うようになり、緊張も回復、熱は下がりませんでしたが、
夜勤の看護婦さんからは、「楽しい夜勤でした〜。」と言われてました。

少し回復したところで、経管栄養を鼻から入れると、やっぱり機嫌が悪くなり、
ストレス性の出血がみられ、中止に〜。 
家では、口からチューブを入れていた事を話すと、
「それでは、一般病棟で家と同じようにしてみてください。」という事で、落ち着きました。
でも、大量の抗生物質のための下痢が、だんだんひどくなって、
食事と下痢の戦いでした。

体調は、回復に向かったのですが、どうしても下痢がおさまらず、1ヵ月半になってしまい、
後は近くのいままでの病院に見ていただくという条件で、退院してきました。
家でも、1日に何度もの下痢、吸引、食事でしたが、1ヶ月もすると、だいぶ良くなってきました。


気管切開してみると、黒っぽかった顔色が、ピンク色になり、意識がとろとろする事もなくなり、
体調回復に時間がかかってしまいましたが、気管切開して良かったと思います。
その後、順調で1年で10キロ、体重が増えて、ずっしり重くなりました。

 
開局トモチャンネル・・・・・・1993年 (13才〜気切前)・・・自主訓練グループの文集より
  今晩も始まりました。FM放送、PM10、トモスペシャル。
  ラジオから、ゴーゴー、ゼーゼィーと途切れる事無なく、響いています。
  察しの良い方は、これが何であるか、おわかりでしょう。
  そうです、TOMOの少し苦しそうな呼吸の声です。

  なぜ、その音を聞いているかと言えば、
  この春から、肺機能が一段と落ちて、呼吸することが、大変になってきたからです。

  息をしようと胸が動いても、緊張や舌根沈下によって、気管がふさがれてしまうのです。
  また、そのような状態なので、痰も多く、空気を吸い込む事が出来ない事があります。

  そのことに、気が付かないでいると、顔が、真っ黒になるほどの、チアノーゼになります。
  その後は、疲れてぐったりとしてしまいます。

  いくら親でも、四六時中、片時も離れないという訳には、いきません。
  私が、食事の準備をしている時、とても不安で、台所とTOMOのところを、
  行ったり来たりして用事をしていました。

  訪問教育の先生が見えた時、この話をすると、早速、装置を考えてくれました。
  それが、この <FMステーション、トモチャンネル> です。

  TOMOのところに発信装置をおき、携帯ラジオのスイッチを入れて、周波数を
  <トモチャンネル>に合わせると、どこでもTOMOのこえが、ゴーゴーと聞こえてきます。
  このゴーゴーが、呼吸をしている証拠、聞こえない時は、呼吸が出来ないのです。

  ゼゼゼッーと、ひときわ音が高くなると、痰が絡み始めて、吸引を必要とします。
  こうなると、何をさしおいても、TOMOのところに、駆けつけます。
  その時に応じて、背中をトントンしたり、痰の吸引をしたり、だっこして、緊張を
  ゆるめたりします。

  今も、ゴーゴーやっています。
  ゼーゼゼゼッーと不規則になってきました。 そろそろ、危ない!
  今晩は、この辺で、終わりとします。

  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

* このホームページの名前はここからつけました。
気管切開してからは、普通はとても静かで、変な気がしました。
今では、バージョンアップ
TOMOのベットにカメラ、台所に、モニターテレビとなって、
安心して 食事の支度が出来るようになりました。

 

<訪問教育>

訪問教育は、週2回、2時間づつ、養護学校の先生がたくさんの教材を持って指導に来てくれます。
1対1なので、子供のペースで、授業が進みます。
ほんの一例を・・・

養護学校の通信表から・・・抜粋
ゆらゆらゆらり
<ユサブランカ>
ユサブランカに乗って 縦揺れ 横揺れ 回転の動きを楽しむ学習を
しました。 ゆらせれると顔の緊張が消えて息づかいが静かになりました。
特に 縦揺れに教師の声が加わるとにっこりと笑顔が見られました。
触ってみよう
<スライム>
<風船>
日頃あまり触る事がないものに触る活動をしました。
冷たく ぬめりのあるスライムで両手を覆われると、盛んに右手を抜こうと
していました。 また ほほにスライムが当たると感触が嫌なのか逃げるよ
うに顔を背けました。 風船では弾力のある感じを手で握ったりして
楽しむ事が出来ました。 特に お腹に抱えてはずませたり、
耳に当たった風船がぶるぶると震えると、にっこりと笑顔が見られました。
どんな音?
<スイッチ>
<ギター>
<サウンドドーム>
いろいろな音を楽しむ勉強をしました。スイッチを使った教材では顔で
スイッチを押して たくさん音楽を聞きました。 耳元で大きな音が聞こえる
と、調子の良い時には目を大きくしていました。
また ギターの弦を指ではじいて音を出す活動も面白そうにしていました。
指先のくすぐったい感じも気に入った様子でした。
サウンドドームの機械的な音には不快な表情をしていました。
リラックスしよう
<体操>
体の緊張をほぐすためにリラクゼーションを中心に行いました。
呼吸が浅く早いので、肺を充分広げ呼吸が安定してから行うようにしました。
体幹のひねりでは、息を吐く時に緩むので、タイミングをみて、ひねるように
しました。 嫌がる事なく気持ち良さそうに受けました。
下肢の緊張は強いものがありましたが、回を重ねる毎に、リラックスすること
が、短時間でできるようになり、移動させたり、ボールに乗せたりが楽に
出来ました。
光を捜して
<ペンライト>
<赤色ランプ>
<蛍光灯>など
暗室の中でいろいろな光を見る学習をしました。
ペンライトの光が目の前で早く揺れるのを見ると、とてもおもしろそうに
笑っていました。
赤色ランプがゆっくり左右に動くのを繰り返し目で追う事が出来ました。
TOMO君は光の強弱が調節できるランプが好き、光が落ちて 真っ暗に
なった瞬間、体を揺らして いつも楽しそうにしていました。
紙遊び ダンボールやトイレットペーパー、新聞紙、広告紙等のいろいろな材質の
紙で紙遊びをしました。 広告紙を両手で引っ張って音を出したり、
新聞紙をグシャグシャにまるめたり、又ダンボールのでこぼこを指で
なぞって感触を味わったりしました。
輪に張った格子状の紙を破る時には教師の補助を受けて、すき間に指を
かけて少しずつ力を入れ、上手に破ることができました。
楽器遊び
<箱だいこ>
大・小2個の箱だいこをたたいて、響きを楽しみました。
大きい箱だいこは低音で、小さい方は高い音が出ます。
また、箱だいこは打つ場所や強弱、ばちの太さで響きが変化します。
TOMO君は低音の柔らかな響きが好きですが、低音から高い音に
変わった時は変化を感じとり、顔を動かしていました。