これは日暮里の昔です・・・・・

 

あの頃は近所に原っぱというか空き地がたくさんありました。
我が家のすぐ裏も空き地でしたし、他にもたくさんあって公園など
行かなくても遊び場には不自由しませんでした。
地面を掘ると熔けたガラスが出てきたりして、
まだ戦争の傷跡を感じたりしていました。
近所の子とかくれんぼや鬼ごっこをしたり、
材木置き場で遊んだりと。

子供達が山と呼んでいた少し小高くなっていたお寺の境内。
夕方になるとコウモリが空を飛び回わり、
墓石のうらでコウロギを捕まえたりして・・・・。

赤レンガと言っていた根岸精神病院の跡地、
その中はうっそうと木が生い茂り
レンガ塀をよじ登ってセミ取りに入ったり・・・・。

お屋敷と呼ばれた我が家の目の前の家。
1000坪もある敷地で大きな池には1メートルもあるような鯉が
泳いでいて、書院造りの家に家族が住んでいました。

蔵が建っていて、
立派な門前には玉石が敷き詰められていました。
本当にどこかの庭園のようでした。 
また築山の下に造られた防空壕も10年程前まで在りました。

これが自分の50年代の風景です。
現在、山は駐車場に、赤レンガとお屋敷はマンションになってしまいました。

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あの頃の食べ物に関しても思い出があります。



近所の駄菓子屋に毎日5円玉を
握っていったものです。

ハリスの風船ガム、
さいころキャラメル、
アイスキャンデー、
クジになってた糸の付いた
イチゴのアメ、
水みたいなもんじゃ・・・・。


紙芝居がやってくると水アメやソースせんべいを買って
黄金バットを見て
紙芝居屋のおじさんが、ただ見は後ろだよ、とか。

夕飯はお鍋を持って豆腐を買いに行ったり、
コロッケを買いに行ったり
豆腐屋さんのラッパの音とか。

昔はどこにもあった光景でしょうが懐かしく思い出されます。
まるで別の世界にいたような気がします

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べつに載せるほどの話しではないと思っていたのですが
それではこんな話しもしましょうか。

いくつの時かは忘れましたがトイレがくみ取り式の頃のことです。
ある日、便所に入った時うっかり足を滑らせてボッチャンと
落ちてしまって泣き声に気付いた家族がくみ取り口から
引き上げてくれました。
たらいに入れられて、ざぶざぶと洗われた記憶があります。

また、我が家に庭がまだあったころ大きなイチジクの木がありまして、
その木のあたりはいつもジクジクと湿ってました。   
ある日、泥遊びでそのあたりを掘っていたらなんと泉が湧いてきました。   
父が大きく穴を掘って池にしました。きれいな水がこんこんと湧きだして
池が枯れることはありませんでした。金魚を放しました。

でも、一日で死んでしまいます。何度やっても同じです。
下町の日暮里に泉が湧くわけがありませんよね。
これは水道水だったんです。戦争前の水道管がまだ生きていて、
途中で切れていたんですね。
水道メーターとは別の管だったのでわかりませんでした。

変な話しですみません。

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2001/4/3 by Kさん

※ Kさんの育った日暮里は 私の育った所と、ごく近くなのに、原っぱがあって、
熔けたガラスが出てきたというのに驚きました。
どうしてなのか疑問でしたが、 
戦争中に東京大空襲で激しかった地域だったのですね。
だから、水道水の泉もあったというわけです。 

※ 駄菓子屋さんは一緒!  その片隅で、やっていた もんじゃ焼き・・・・・
ホントに薄い小麦粉の液に、キャベツ、さきいか、揚げ玉が少し入っていていました。
鉄板にジャーと流して、ヘラでかき混ぜアツアツを食べると美味しいものでした。

※ 夏になると、寒天があって、おばさんに「トコロテン、ちょうだい〜」と言うと、
トコロテン突きで、にょろっと作ってくれました。

                         by seise