養護学校・通学・・・・・1987年4月〜1992年3月(6才〜11才)

泉が岳で そり滑り、TOMOは真ん中です。

入学の年になると、入学相談なるものがありますが、
相談する必要もないほど、行く場所は限定されてしまいました。

<学校の事>

肢体不自由養護学校は、
近くになく、重症児の受け入れ枠もなく、また入学できても入所になってしまいます。

盲学校は、
車で10分で、重複学級は、ほとんど先生、生徒が1対1という、恵まれた環境でした。
ここの重複は、肢体不自由と視覚障害、軽い知的障害の子が対象で、
TOMOが希望すれば、(重すぎて)訪問教育になってしまうと言われ、あきらめました。
今は、重い子も通学しているので、
頑張って盲学校に入っていれば良かったかなとも思います。
又、訪問生が少なかったので、継続で高等部での訪問教育がありました。
今は、普通ですが、3,4年前には、一般的に中学部までしか訪問教育はありませんでした。

知的障害養護学校は、
車で5分の北と南にありましたが、市立の重複部は、どうにか歩ける状態の子で、
また、定員枠があったので、軽い子からの入学許可となっていました。
当時、隣に障害相談センターがあって、そこの在籍の訓練士さんが、
その養護学校の機能訓練も担当していたので、魅力的でした。

残るのは、県立の知的障害養護学校の重複部のみです。
定員枠がないので、仙台市の重症児は、ほとんど この養護学校に決まってしまいますが、
知的ということで、訓練の先生はいないし、リハビリは家での方針でした。

重症児にとって療育センターのリハビリも受けられず、すべて親の肩にかかってきました。
これからの長い年月をひとりで、出来るでしょうか。


<自主訓練グループの事>

学校の先輩のお母さん方と相談して、お母さんと子供達が放課後集まって、
自主機能訓練をする事にしました。 
場所は、近くのA型センターの訓練室が借りられる事のなり、
10組位の親子が集まって、はじまりました。 (1987年2月〜)
その一方、児童相談所(障害相談センターが移行)に、訓練士さん派遣のお願いをして、
2年目には、月1回は、来ていただけるようになりました。

この時期、毎週〜仲間と一緒におしゃべりしながら、訓練した事は、
楽しい思い出です。

今でも訓練が必要な子は、どこかしらの病院、通園施設で機能訓練が受けられるようになり、
親子それぞれ、年令も上がって、自然消滅になっています。

<病院の機能訓練>

また、卒園を前にした3月、定期薬を戴いていた病院で「理学療法室」の看板が目に入りました。
まだ新設されたばかりで、 高齢者向けなのですが、小児科の先生の相談すると
簡単に「訓練士さんがいいなら、いいよ。」と言われ、今もずうっと通っています。
家から5分という立地条件が助かっています。
でも、ゼコゼコがひどく呼吸困難の時は、途中止まり止りのながい道でした。

<その他>

入学の時、騒いだせいか2年後、療育センター、国立療養所からもリハビリのOKが出て、
頼んだ以上、頑張って あっちこっちリハビリに通いました。
1週間〜毎日の放課後が、どこかへお出かけでしたから、 
TOMOには体力的に負担だったかもしれません。

ゼコゼコはひどく、車の中でもチアノーゼがおきて、通学が難しくなり、
通学から訪問になった時点で、せっかく受け入れて戴いたリハビリだったのですが、
こちらから通院を止めさせていただきました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

<入学して〜>

学校は、1クラス4〜5人で、TOMOの気持ちに沿って指導されました。
通園施設では、大勢の中ではワァ〜という音になってTOMOには吸収しにくかったのでしょう。
1学期の連絡書は、ニコニコしたTOMOの写真で、
私まで嬉しくなり、母子通園施設の先生に見せに飛んで行きました〜。(*^^*)

 

TOMOです、ヨロシク!!・・・・・1987年11月 (7才)・・・文集より
  

  僕の家は、お父さんとお母さん、小3のTAKA兄ちゃん、小1のFUMI兄ちゃん、それに小1の僕、
  TOMOの5人家族です。

  仙台に来て、4年半、僕も、ずいぶん、成長しました。来た頃は、朝目覚めると、
  ワァーワァー大泣きしていたけれど、もうしなくなったし、水もゴックンゴックン飲めるようにも、
  なりました。何と言っても、笑い声が出るようになったのが、すごいです。

  3年位前から、毛布ゆすりで、笑い声かなという感じで声が出ていましたが、
  いまでは、バルーンにのって、弾むと、キャキャと笑えるようになりました。、
  お出かけの車の振動も楽しいなぁ〜。

  それに、お母さんは、不思議がっていますが、ひとりで、ベットで笑う事があります。
  本当は、僕にとって、おもしろい音が聞こえてくる時だったり、
  オシッコが気持ちよく出た時だったりするんです。

  僕の中では、あまりにゆったり、ゆったり時間が過ぎるので、
  せっかちなお母さんは、あせったりしています。

  体の方は、緊張が強すぎて、僕の意志に反して、右からステキなオルゴールの音が聞こえてきて、
  右の向きたいなぁ、と思っても、左に向いてしまいます。
  仰向けに寝たいと思っても、つっぱって、コロンと横になってしまいます。
  それから、訓練しないと、すぐに体中、かたくなって、こまってしまいます。
  つっぱりすぎて、むせて吐きそうになると、TAKA兄ちゃんが、頭を抑えてくれるようになりました。

  僕も、小学生! お母さんがいなくても、大丈夫!!
  学校には、頼もしくて、やさしい先生方が、いるんだから・・・!!!

  * お父さんに作ってもらった保持イス。チョットつっぱり!

  

 

 

アロエ・・・・・・1989年3月(8才)・・・文集より
  

  TOMOが虫に刺されて、足を赤く腫らしていた事があります。
  それを見ていたTさんは、虫刺されに良く効くからと、アロエを持って来てくれました。
  また、Oさんは、2本植えると、よく育たつからと、アロエをもう1本持って来てくれました。

  2人から戴いたアロエは、大きな鉢に2本仲良く並び、手もかけずにいたのに、
  元気良く、大きく育ちました。

  昨年の10月半ば、アロエのてっぺんに、いつものギザギザの葉っぱでなく、
  <つくし>のような物が見えました。
  花が咲く事もあると、聞いていましたが、蕾なのでしょうか。

  それは、日増しに大きくなり、<つくし>というより<アスパラ>という感じで、30cm位に伸びました。
  11月末、ガクに包まれていた蕾達は、そろそろと、下の方から顔を出しました。
  ひとつひとつは、細長いあけぼの色で、先の方が、少し緑がかっています。
  全部の蕾が、出揃うと、
  下の方から、又、ひとつひとつ、緑がかった先端が、チョットわれて、咲き始めました。

  昨年の秋から、TOMOは、痰が多く、ゼーゼーと、呼吸も食事も、(生命も)、大変な毎日でしたが、
  家の中にいて、どれだけアロエに励まされたか、わかりません。

  ただ、花が咲いたというだけでなく、みんなの優しい気持ちが、咲かせたようで、嬉しかったのです。


  プローンボードで訓練

 

 

ある日の食事・・・・・1989年11月(9才)・・・文集より
  

  いつも、お兄ちゃん達が、のんびりしているので、親の方が、気がもめて,
  TOMOの食事は、早く、早くと、思ってしまう。
  今日は、ゆっくり夕食をとることにしよう。

  食事の前に、
  呼吸を整え、誤飲をしないように、胸のマッサージ、バイブレーションをし、
  口の動きを良くする為に、口に周りと歯茎のマッサージをする。
  少し、ゼィーゼィーしているが、機嫌は良い。

  献立は、TOMOの好きな、すりつぶしカレー、卵チーズ入りパン粥、牛乳、水。
  静かな食堂で、食事を始める。 物がよく見えないので、その分音には、敏感で、賑やかだと、
  そちらの方に気を取られて、なかなか食べらない。

  ガラスの食器をスプーンでかきまぜる<カランカラン>という音を聞いて、口をペチャペチャさせる。
  食べ物を鼻の近く持っていき、匂いをかがせ、スプーンで口をチョンチョンとして、
  「は〜い、お食事ですよ、ア〜ン」と、<食べ物が口に入る>の合図を送る。

  それでも、ペチャペチャするだけで、口を開こうとしない。
  緊張が強くて、口の開閉も思うようにならない。
  何度か、「ア〜ン」を繰り返していると、やっと、口が開いた。 (あっ! チャンス!!)
  「ペチャペチャ、モグモグ、ゴックン」・・・・・
  これを幾度か繰り返していると、私もTOMOも、待ちくたびれる。
  せめて、1時間くらいで、終わりたいと、だんだん、あせってくる。

  今日は、TOMOペースで、ゆっくりしよう。
  「はい、ア〜ン〜」
  「そうそう、ア〜ン、ア〜ン〜するのよ。」
  「うんうん、いいよ!!」と褒めると、言葉としては、わからないけど、
  声の調子で、ニコッと、うれしそうにする。

  途中から、痰がたまって、ゼィーゼィーし始める。
  「水にしようか」と、一口、スプーンで水を入れると、おいしそうな顔をする。
  「もっと、お水?」・・・ニコッ
  「じゃあ、もう一口ね」と、食事は進む。

  はたから見たら、食事そのものが、苦痛のように思うけど、やはり、食事は楽しい事である。
  全量でなくでも、「ア〜ン」といって、TOMOが口を開けて、食べられるように、
  私も、気持ちをおおらかにして、頑張りたいと思う。


3兄弟 2才頃

 

 

可能性をさがす・・・・・1990年11月(10才)・・・文集より
  TOMOが生まれて、10年。 
  その頃の本を「脳性まひ児の家庭療育」を、今読み返してみると、次の文章に出会う。

  「進歩が、たとえ遅くとも、働きかけを根気よく続けなければなりません。
   そして、ほんのわずかのことであっても、何か進歩した事がないかと、さがさねばなりません。
   もし、あなたが働きかけをあきらめてしまえば、
   もうそれで、その子供には、学習の可能性がなくなってしまいます。」

  「進歩した事をさがす」
  重度重複障害の子供の進歩は、とても遅々として、1年、2年の間には、なかなか見えない。
  何年かして、そういえば、笑い声がはっきりしてきたとか、家族の声は覚えているらしいとか、
  長い年月がかかる。
  どのような働きかけが、この子に有効なのだろう。

  幸い、学校の班別で、いろいろな試みがされている。
  その一つに「シャランベル」を鳴らすというものがある。

  TOMOの手足のところに、「シャランベル」を置いて、
  何かの拍子に、緊張で突っ張った時に、あるいは自分の意志で、「チリン」と鳴ることを期待する。
  何度もやっているうちに、
  手のところにシャランベルがあるときは、手の方が、足のところにあるときは、足の方が、
  動くようにみえてきた。 それは、はっきりしない、かすかな動きである。
  仮定であっても、少しの可能性を、見つけて続けていきたい。

  親も子も、ゆったりとした時間の中で、30分に1回でも、TOMOの意思で、「チリチリン」と
  鳴らせたら、いいなぁ〜と思う。

  機能訓練も食事訓練も気長に、充分、時間をかけて、TOMOペースで一歩づつ。
  初心を忘れないで、がんばりましょう!!
  リラックスして・・・・・。


シャランベルをならす